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2013年5月4日土曜日

昨日は憲法記念日、私は松戸に行った。

昨日は憲法記念日、私は松戸に行った。
田中優子さんの講演だ。初めて話を聴く。チラシの写真は着物を着た美人だった。
大学の教授だから、美人か不美人かは問題無いのだが、やはり美人にこしたことはない。

田中さんの講演の前に、日大芸術学部の女声合唱団の出演あり。
坂本九の歌を歌ってくれたが、自分の好みとしては、ソロの方がいい。
しかし、大きな拍手だったので、参加者には良かったのかな。

松戸の憲法記念の集いでは、毎年、主催者挨拶は、最初にではなく、演奏の後、講演の前、に行われる。 遅れて来る人の事を考えてからかなあ。今年の挨拶は長い。それだけ、想いが強いのかな。挨拶というより、演説だな。

以下は、田中さんのお話だが、完全には話された通りではないので、それを承知して下さい。

田中さん 国歌を決めるなら、「ふるさと」(最後に歌われた曲)ではないか。
「上を向いて歩こう」の作詞者永六輔のファンであるが。番組で一緒した時、「上野さん」と声を掛けられた。人違いされていたということ、残念。

平塚らいてふう と 市川房枝の話、女性の人権の確立に活躍した人たちだが、戦争の時代に何をしたか、戦争に協力するように呼び掛けていた。「・・・だから仕方がない。」を少しずつ続けて行くと、しまいには、全く反対の方向を向いている。

猪瀬さんの話も聞かなくてはならない。とうとう言っちゃったね。東京でオリンピックしなくてすむね。

 今、日本国憲法を改正しようとする人たちが言う理由の一つは、「アメリカから押しつけられた」ということ。しかし、NHKの調査では、押しつけられたのではなく、まさに日本人が作ってきた。

天皇制を廃して大統領制を言う人もいた。現在の大原社会問題研究所の基を作った人。
知っている事とは思うがついでに書いておくと、 大原社会問題研究所は、法政大学にある。
つまり、自分の学校の宣伝をしている。

74歳の老人が天皇制を廃止しようといい、41歳の鈴木安蔵は天皇の存続をいい、発想が逆転していた。当時の(今もかもしれない)多くの日本人は、天皇を愛していた。

天皇制を廃止するかどうかを考えるチャンスは2度あった。
1度目は、江戸の初期、2度目は、戦後。

 武士の政権「幕府」が長く続いて、天皇には力が無かった。それでも廃止に踏み切れなかったのは、諸大名の反乱を恐れて、幕府への権威付けとして天皇を利用しようとしたから。

 まずはここまで、残りはまたね。




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